本当は怖いアイドルマスターシンデレラガールズ19話、諦めと束縛の結果としてのアスタリスク

デレアニ19話ひどい話だったね…
だりーなが、本当にやりたいロックを諦めて、アスタリスクで妥協してみくに束縛されちゃったね。

19話のあらすじをざっくり言うと

それまで、だりーなは概念的にしかロックを考えていなかったが

なつきちに出会い、様々な曲を聞いたり本を読むことで初めて本格的なロックを知った。そして「なにやってるんだろう私」という台詞に象徴されるように、自分がやっているアスタリスクと、本格的なロックとのギャップに悩むようになる。

そしてさらに、本格的なロックの体現者なつきちのように、かっこいいロックをやりたいという目標を見出すが、同時にアスタリスクで、かっこいいロックがやれるのかと悩むようになる。

こうした事情の中で、みくの心情の吐露を聞いて、突然の「アスタリスクが私にとってのロック」宣言。唐突に感じた人も多いのではないだろうか、この宣言をどう受け止めるべきなのだろうか。

 

アスタリスクと、本格的なロックとのギャップに悩んでいたこと。

アスタリスクで、かっこいいロックがやれるのかと悩んでいたことはどうなったのか。

だりーなはこれらの悩みを解決していない。

依然としてだりーなは、アスタリスクは本格的なロックではない、アスタリスクでかっこいいロックがやれるとは思っていない。

そして思い出して欲しいのが、だりーなのロックの定義は「自分がロックだと思ったらそれがロック」というものだ。

つまり、アスタリスクは本格的なロックではない、かっこいいロックもやれない、しかし自分がロックだと思うロックという位置づけだ。

それはすなわち「アスタリスクが私にとってのロック」という宣言は、本格的なロックを諦めて、かっこいいロックも諦めて、自分にとってのロック、アスタリスクで妥協したという宣言でもあるということだ。

 

なぜだりーなは、そうまでしてアスタリスクを選んだのか

だりーなが「アスタリスクが私にとってのロック」宣言の他に述べた、アスタリスクを続ける理由は2つだ。

アスタリスクをやることは自分で決めたことだから
アスタリスクのことでパートナーであるみくを心配させて泣かしたくないから

これらが意味するのは、だりーなが本当にやりたい、かっこいいロックをやるためにアスタリスクをやめることになれば

自分で決めたことを自分でやめることになる、みくを泣かすことになる。それがだりーなには出来ないのだ。だりーながアスタリスクを続けるのはこうした消極的な理由からだ。


自分で決めたことを自分でやめることが許せないのは、だりーな自身の問題だ。これに関してはだりーな自身が解決するしかない。
しかし、いかんともしがたいのが、みくの存在だ。

 

パートナーであるみくは、だりーながアスタリスクをやって良かったと思えるように、がんばっている。それがパートナーの役目だと考えている。

だがそのパートナーの役目の中に、本当にやりたいことをパートナーが見つけたら、それを後押しするという考えはない。

だりーなと一緒にアスタリスクを続けることが第一義なのだ。

そもそもみくがアスタリスクをやる目的は、可愛いネコキャラで可愛い歌を歌いたいというものだった。

それが、いつの間にか、アスタリスクをだりーなと一緒にやることが目的になっている。

みくはいつの間にか本来の目的を見失っているのだ。
そしてみくは、だりーながアスタリスクのことで思い悩むことに心配して涙を流す。

 

みくは、だりーなを支えるために、がんばっているいい子だという評価もあるが
実際はパートナーが本当にやりたいことを見つけても後押しせず、結果的に泣き落としでだりーなを束縛している重い子なのだ。
みくががんばって、だりーなを支えているのではない

だりーながみくを泣かさないために、みくを支えているのだ。本当にやりたいことを諦めてまで。

 

デレマスアニメ19話は、だりなつクラスタから不興を買っているという話もあるが当然だろう。

だりーなが自分が本当にやりたい、かっこいいロック、すなわち、なつきちと一緒にやることを諦めて、みくを泣かさないためにアスタリスクを優先したということだからだ。

そして、誰も幸せにはなれない。

だりーなはアスタリスクを続ける限り、自分が本当にやりたい、かっこいいロックが出来ない。自分がなにをやっているんだろうと悩み続けることは確かだ。

みくもだりーなが、本当にやりたいロックをやれないことは分かっているが、それでもだりーなと一緒にアスタリスクを続けたいと願い努力する。そしてだりーなが悩む姿に涙するだろう。

なつきちは本当はだりーなと一緒にやりたいが、先に結成したアスタリスクを尊重して手を伸ばせないでいる。

みんながみんな、相手のことを思っているのに、誰も幸せになれない。本当に怖い話だったのだ。